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| noriaki78 |
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The Hotel New Hampshire ![]() ![]() Group: Administrator Posts: 121 Member No.: 2 Joined: November 23, 2005 |
![]() BASIC INFORMATION * 1961年1月24日生まれの水瓶座。 * 出生地は西ドイツのベルリン。 * 父は性格俳優のクラウス・キンスキー。 * 母はクラウスの2人目の妻、ブリジット(アイシス)。 * Nastassja(Aglaia)Naksysnskiが本名。 * Nastassia、Nastashaと綴る場合も。 * 身長173cm。 * 父がロシア系、母は純粋なドイツ人なので、ロシアとドイツの混血。 * ドイツ語の他、英・仏・伊語もこなし、スペイン語も少々。 * ドイツ時代に「ゴールデン・バンビ賞」を2度受賞。 * 同じくドイツ時代、「ゴールデン・オットー賞」を1度受賞。 * 『テス』では、1981年のゴールデングローブ賞で新人賞受賞。 * 基本的には菜食主義者。 * 香水はニッキー、ゲランのミツコ。 * 好きな女優はイングリッド・バーグマン。他にヴィヴィアン・リー。 * 男優はマーロン・ブランド、マーティン・シーン、アル・パチーノ。 * 古いフランス映画が好み。ジャン・ルノワール、ジャン・コクトーなど。 NASTASSJA KINSKI STORY 『ノスフェラトゥ』など、ヨーロッパの映画界で絶大な人気を得 た性格俳優クラウス・キンスキー。彼は2人目の妻ブリジット・ ルース・トキ(当時15歳)と 1960年に結婚、翌年の1月にナ スターシャ(ドストエフスキーの『白痴』より命名)が誕生。この ころのクラウスとブリジットは、売れないクラウスのマネージメ ントをアイシスが引き受けて、誰から見ても幸せなカップルで あった。しかし、ナスターシャが9歳になったころクラウスの浮 気が原因で2人は離婚。以後、ナスターシャはまだ20代半ば だった母とその恋人に連れられてミュンヘン、ローマ、ベネズ エラなどを転々。そのおかげで、母国語のドイツ語のほかにイ タリア語、スペイン語、フランス語、英語とさまざまな国の言葉 が自由に操れるようになったが、一カ所に定住できなかったた め友達が出来ないのが哀しかった、という。 ニュー・ジャーマン・シネマを代表する監督であるヴィム・ヴェン ダースは、『都会のアリス』に続くロード・ムービー第2弾『まわり 道』の製作にとりかかっていた。この映画の登場人物の一人 で、口のきけない少女ミニョンを演じる子役を探していた彼 は、女優リザ・クロイツァーの紹介で、当時モデルとしても活躍 していたナスターシャ(当時13歳)を西ドイツ・ベルリンのロッ ククラブにてスカウトする。この映画の出演がきっかけとなり、 西ドイツのTV映画数本に出演。ティーンが選ぶ「ゴールデン・ バンビ賞」を2度受賞、アイドルスターの仲間入りを果たす。 15歳になったナスターシャは、あるパーティにて母から、映画 監督ロマン・ポランスキーを紹介される。彼の長年の構想で あった『テス』は、妻シャロン・テートの惨殺という事件があって 以来、お蔵入りになっていた。しかしこのパーティで彼はナス ターシャに一目惚れ、再び『テス』の映画化を決めたという。そ の数日後、ナスターシャはポランスキーに頼まれて写真のモ デルを勤め、彼に誘われて各地を旅することに。世間では、ポ ランスキーの新しい恋人として噂されることとなった。 大作『テス』に向けて演技力・英語力を高める必要があったナ スターシャは、16歳で単身渡米。ニューヨークのアクターズ・ スタジオでリー・ストラスバーグのもと、半年間学んだ。一方の ポランスキーは少女暴行というスキャンダラスな事件を起こ し、アメリカを脱出。これによって『テス』の撮影が延期になっ たため、ナスターシャはマルチェロ・マストロヤンニ共演のイタ リア映画『今のままでいて』に出演。この映画の中で撮影され たヌードシーンが世界中の雑誌でトリミングされて掲載される というトラブルも起こった。 4年近くという長い準備期間を経て完成した『テス』は、各方面 から高い評価(ナスターシャも米ゴールデン・グローブ賞新人 映画女優賞受賞)を受ける。ハリウッドのフランシス・F・コッポ ラ監督もこの噂を聞きつけ、次回作に彼女を起用する計画を 練る。ナスターシャは『テス』の共同製作者、アンヌマリー・ベリ に連れられ再度渡米し、コッポラの新作ミュージカル映画『ワ ン・フロム・ザ・ハート』に出演する。長い撮影となったこともあっ て、ナスターシャはビバリーヒルズに家を借り、母と一緒に住む ようになっていた。ハリウッドの彼女に対する評価は徐々に高 まっていて、次々と持ち込まれる脚本のなかには、ナスターシャ も大好きな『タクシードライバー』の脚本家ポール・シュレイ ダーの新作もあった。これが『キャット・ピープル』の出演へと繋 がり、その後も続々と話題作への出演依頼が殺到する。 ナスターシャは1980年8月25日に『テス』のキャンペーンのた め初来日、各雑誌の取材の他、2つの企業からCFのオファー を受け、日本のお茶の間にも『ジャパンライフ・ヘルシーベッ ド』『サントリー・ワイン・レゼルブ』で登場することになった。ま た、ちょうど同じ時期『上海異人娼館』の撮影のため来日して いた父クラウスの「娘の記者会見に同席したい」という発言に 対して、ナスターシャは「父は私を利用しようとしている」と断っ た、というエピソードも残っている。 1年に4本の映画に出演という、国際派女優としてまさに人気 絶頂にあったナスターシャであったが、ここにきて彼女の「妊 娠」が発覚。父親の名前が公表されないまま、1984年6月 29日に長男アリョーシャを出産。未婚の母となるが、そのあと すぐエジプト出身の映画製作者イブラヒム・ムッサが子供の父 親であることを発表し、同年9月10日に結婚。二人の出会い は81年『キャット・ピープル』撮影中のロサンゼルスであった。 1986年には長女ソーニャが生まれた。 長女ソーニャが生まれたあと、ムッサとナスターシャの関係は 徐々に悪化の方向へ向かってしまう。2人は長い別居生活に入 り、ナスターシャはシングルマザーと女優の2足のワラジをはく 生活を送っていたが、1992年、ついに「離婚」という形で結婚 生活にピリオドを打つ。その決断の理由と思われるのが、マイ ケル・ジャクソンのプロデューサーとしても知られるアメリカの 偉大な音楽家、クインシー・ジョーンズとの出会いだった。2人 は1991年から生活を共にするようになり、1993年には彼女 にとって3人目の子となる次女ケーニャが生まれた。 結婚こそしなかったものの、ジョーンズとの生活も1997年を もって終焉を迎え、再び3人の子供のシングルマザーとなった ナスターシャは、その後もコンスタントな女優業を展開。1998 年には、『ロレアル・パリ』のCMに出演、白髪染め?ともとれるこ のCMでのナスターシャの姿に、昔からのファンは悲哀を感じ たとか感じなかったとか。全盛期は、大御所俳優の若い愛人 役、というものだった彼女のイメージも、最近では美しい母親 役のイメージにとってかわった。女優として円熟期に入った彼 女の今後の動向は、このサイトを通じてできるかぎり追ってい きたいと思います。 -------------------- |
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